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2012年04月19日

当たり前のことが、当たり前じゃない、かも

 先日、とあることに気がついたんですね。
 自分じゃあ当たり前に感じていたことが、他の人にとっては、当たり前ではないことを。

 どんなことかというと、随分前に仲間が、街頭でキリスト教のパンフをもらって、そこにキリストは神の子、神を信じなさいって内容があって、原罪とは神を信じないことなんですってね。ふーんと思いながら、心に残ってたんです。

 で、自分はよく、生かされているなと感じることがあって、まあ、自分の父親がある日突然死んだこともあってか、ああ、自分は生かされているんだなと、その時、思ったわけです。自分の身体はガンダムで、自分は丁度目のところから形式を見ていて、目の奥からものを見てこの身体を動かしているみたいな感覚。

 私は今、他者から私の名前を呼ばれて、呼ばれることで自分を認識しているというか。
 その呼ばれている名前の役を、今私は演じていて、日々過ごしているというか。
 そう考えると神という存在はいる訳だし、尚且つ自分もそのような感覚を感じたりして。それが自分にとっては当たり前で、

 でもどうやら、頭蓋骨のおでこの中側にピタッってくっついて生きている人もいるみたいで。
 大変だあと。

 ちょっと離れて自分を見ると、わりと面白いですよ。
 でも、他者とふれあうのは、このボディなんですよね。

 そんな風に感じると、外と私の違いも良くわかるし、当たり前だと思って隅に置いてしまった出来事を引っ張り出さなくちゃいけないわけです。


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この記事へのコメント
僕も高2くらいからそんな視点を持ちました。
まさか共感する人がいるとは。。と思っていました。

僕は一歩離れて自分を見るとか、自分を俯瞰するって自分の中で表現してます、自分が主人公のアニメをぼーっと見ている感覚というか。

気づいたんですけど、ずっとその視点だと人生に起伏がなくて面白くない。
悲しいことや辛いことは客観視することで痛みを薄くすることができますが、本当に楽しいことや、興奮することは自分が自分の中にいないと有り得ないと気づきました。

友達に言っても理解されなかったのでちょっと今うれしいです。
Posted by KOUKI at 2012年04月19日 13:04
> KOUKIさん

 あら、そうだったんですね。
 そういう感覚が当たり前だと、他の人もそうだと思っちゃいますけど、細かなことにノイローゼになっている人見ると、そうでもないらしいと感じます。

 自分は小さい頃からそういうとこありましたし、まあ、父親が居なくなった時にやっぱりって思ってしまったりして、何でだろう?って不思議でしたが、その理由、ちゃんと自分の記憶に残っているんですね。

 ここから先は不思議な話なので、理解できる人じゃないと伝えられませんが、つまりはこのボディを使って世界と接しているということは変わりなく、そんな毎日を愉しんでいる訳です。

 KOUKIさんも愉しんでください。
Posted by TOMO at 2012年04月24日 03:59
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