2012年04月15日
思っていることを言葉にすること
さっき、フラリと師匠の演出家のHPを見たら、色々と言葉が綴られて、あ、私、ワリと無邪気なことしてたかもねって思って反省しまして、出来るだけ思っていることを言葉に綴ってみようかなって、今思ったので、ま、いつまで続くかわかりませんが、トライしてみようと思います。
演劇の世界って非日常の世界って言われますが、仕事になるとそれが日常で、一般的な日常が私にとっては非日常というかイベントになってしまいます。
私の家は未だ地デジ化しておらず、テレビも観ていません。
たまに人の家に行ってテレビが映っていると珍しい気分になったりして、あんなにテレビっ子の私がよくぞここまで、テレビなしの世界で生きていけるようになったなあと思ったりするわけです。
私は本当にテレビっ子でしたから、ビジュアルで育ったといえますね。ですから、人の話を聞くとすぐにビジュアル化してしまいます。景色が時々コメディになったり、アニメになったりします。テレビは人をアホにすると言っていた方いましたが、私にとってはこうして役には立っているので、完全に悪いものとは言えないようです。
しかし不思議と子どもの頃は、殆どNHKは見ておらず、観ていても教育番組のみ・・・私はよく学校を休んでいたので、教育テレビに勉強を教えてもらったような気がします。とはいえそれ以外は見れなくて、なんでNHKの受信料なんか取るんだろうって思っていましたが、大人になると確かにNHKばかり見るようになりました。NHKを楽しめるようになると、大人になった証拠なのかもしれません。
今は毎日、演劇関係の仕事の日々で、休みという休みはなく、だから合間にある日常的な非日常を愉しんでいたりするわけなのです。
先日、東京に送りだしたとある子の舞台を観に行きましたが、前日まで天竜川と戦った男の舞台を創っていたもんですから、上京して観た芝居がアパート一室が舞台になった若者たちの葛藤の舞台で、随分世界観が小さくなっちまったなあと。そうそう、今年の正月2日に東京で歌舞伎とパフォーマンス観たんですわ。歌舞伎を生で見たのは実は初めてだったんですけどね、いや~師匠の方が面白いね。テレビでよく見た当時、中村勘九郎と、中村獅堂が出てましたけどね、面白かったかって言うと正直うーんです。師匠の役者はギリギリまで戦ってる感があるんですよね。そう思えば、良い舞台を観ていたんだと思います。団員に薦められたパフォーマンスも、スゴイけど、で?って感じで。何と言うか、これが非日常なのかな~?と思ったりね。よくわからないけど、日常に生きている人は、その日常を全く見たくないのでしょうね。相当嫌なんだと。けどなんか、とにかく、人がちっぽけに見えるのは何故でしょう?師匠が、「もう一度、人間に感動したい」ととあるテレビでコメントしていたのを見て、私もそう思いますね。
日常に生きている人の非日常は、そうとう今に絶望しているんだなって感じちゃうんですよ。愉しめない日常があるんだなと。
私にとってはその日常がイベントだったりするのにね。相当つまんないらしいね。つまんない退屈な毎日を過ごしているんだろうか?私は退屈出来る時間を埋める為に日々過ごしているのか?作品を創る毎日が、私には日常で、でも、その日々をとても愉しく幸せに思う。大人になれて、自由になって、ホント幸せ。
上京しても、ユートピアがないって感じて帰る。青い鳥は、家の中にいるんですよ。最近、徳川家康の舞台を創りますが、実在人物ですからね。非日常じゃないんですよ。実際、いたんですから。だから400年前にタイムスリップするのが愉しくて、愉しくて。その時も同じようにこの空の下で空気を吸っていたのかも思うと、面白いです。それを体験しながら舞台づくりが出来るなんてホント愉しい。多分、今私が見えている世界は、違う世界なのかもしれませんね。
あ、エラソー。若い頃は生意気、今はエラソー。いえいえ、そう思って景色をみてください。面白いものが見えてきますから。
そんな風に思っていることを言葉にしてみます。
演劇の世界って非日常の世界って言われますが、仕事になるとそれが日常で、一般的な日常が私にとっては非日常というかイベントになってしまいます。
私の家は未だ地デジ化しておらず、テレビも観ていません。
たまに人の家に行ってテレビが映っていると珍しい気分になったりして、あんなにテレビっ子の私がよくぞここまで、テレビなしの世界で生きていけるようになったなあと思ったりするわけです。
私は本当にテレビっ子でしたから、ビジュアルで育ったといえますね。ですから、人の話を聞くとすぐにビジュアル化してしまいます。景色が時々コメディになったり、アニメになったりします。テレビは人をアホにすると言っていた方いましたが、私にとってはこうして役には立っているので、完全に悪いものとは言えないようです。
しかし不思議と子どもの頃は、殆どNHKは見ておらず、観ていても教育番組のみ・・・私はよく学校を休んでいたので、教育テレビに勉強を教えてもらったような気がします。とはいえそれ以外は見れなくて、なんでNHKの受信料なんか取るんだろうって思っていましたが、大人になると確かにNHKばかり見るようになりました。NHKを楽しめるようになると、大人になった証拠なのかもしれません。
今は毎日、演劇関係の仕事の日々で、休みという休みはなく、だから合間にある日常的な非日常を愉しんでいたりするわけなのです。
先日、東京に送りだしたとある子の舞台を観に行きましたが、前日まで天竜川と戦った男の舞台を創っていたもんですから、上京して観た芝居がアパート一室が舞台になった若者たちの葛藤の舞台で、随分世界観が小さくなっちまったなあと。そうそう、今年の正月2日に東京で歌舞伎とパフォーマンス観たんですわ。歌舞伎を生で見たのは実は初めてだったんですけどね、いや~師匠の方が面白いね。テレビでよく見た当時、中村勘九郎と、中村獅堂が出てましたけどね、面白かったかって言うと正直うーんです。師匠の役者はギリギリまで戦ってる感があるんですよね。そう思えば、良い舞台を観ていたんだと思います。団員に薦められたパフォーマンスも、スゴイけど、で?って感じで。何と言うか、これが非日常なのかな~?と思ったりね。よくわからないけど、日常に生きている人は、その日常を全く見たくないのでしょうね。相当嫌なんだと。けどなんか、とにかく、人がちっぽけに見えるのは何故でしょう?師匠が、「もう一度、人間に感動したい」ととあるテレビでコメントしていたのを見て、私もそう思いますね。
日常に生きている人の非日常は、そうとう今に絶望しているんだなって感じちゃうんですよ。愉しめない日常があるんだなと。
私にとってはその日常がイベントだったりするのにね。相当つまんないらしいね。つまんない退屈な毎日を過ごしているんだろうか?私は退屈出来る時間を埋める為に日々過ごしているのか?作品を創る毎日が、私には日常で、でも、その日々をとても愉しく幸せに思う。大人になれて、自由になって、ホント幸せ。
上京しても、ユートピアがないって感じて帰る。青い鳥は、家の中にいるんですよ。最近、徳川家康の舞台を創りますが、実在人物ですからね。非日常じゃないんですよ。実際、いたんですから。だから400年前にタイムスリップするのが愉しくて、愉しくて。その時も同じようにこの空の下で空気を吸っていたのかも思うと、面白いです。それを体験しながら舞台づくりが出来るなんてホント愉しい。多分、今私が見えている世界は、違う世界なのかもしれませんね。
あ、エラソー。若い頃は生意気、今はエラソー。いえいえ、そう思って景色をみてください。面白いものが見えてきますから。
そんな風に思っていることを言葉にしてみます。
Posted by 劇団砂喰社 at 03:10│Comments(0)
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