当たり前のことが、当たり前じゃない、かも
先日、とあることに気がついたんですね。
自分じゃあ当たり前に感じていたことが、他の人にとっては、当たり前ではないことを。
どんなことかというと、随分前に仲間が、街頭でキリスト教のパンフをもらって、そこにキリストは神の子、神を信じなさいって内容があって、原罪とは神を信じないことなんですってね。ふーんと思いながら、心に残ってたんです。
で、自分はよく、生かされているなと感じることがあって、まあ、自分の父親がある日突然死んだこともあってか、ああ、自分は生かされているんだなと、その時、思ったわけです。自分の身体はガンダムで、自分は丁度目のところから形式を見ていて、目の奥からものを見てこの身体を動かしているみたいな感覚。
私は今、他者から私の名前を呼ばれて、呼ばれることで自分を認識しているというか。
その呼ばれている名前の役を、今私は演じていて、日々過ごしているというか。
そう考えると神という存在はいる訳だし、尚且つ自分もそのような感覚を感じたりして。それが自分にとっては当たり前で、
でもどうやら、頭蓋骨のおでこの中側にピタッってくっついて生きている人もいるみたいで。
大変だあと。
ちょっと離れて自分を見ると、わりと面白いですよ。
でも、他者とふれあうのは、このボディなんですよね。
そんな風に感じると、外と私の違いも良くわかるし、当たり前だと思って隅に置いてしまった出来事を引っ張り出さなくちゃいけないわけです。
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