ここのところ、ずっと戦国芝居・・・というより実在人物を演劇で表現する作業をしている為、どうやらその人が傍にいるような感覚に陥る。
その中で、どの戦国モノでも、織田信長は人気である。
私は、徳川家康ファンである。理由は、哲学者だと思えるからで、特に遺訓の言葉は、家康自身が残したとしたなら、流石堪忍した人だと感じる。
その家康と同盟を結んでいた戦国時代の暴れん坊、織田信長。
一度、劇団員と、信長ツアーと題して、自分たちが描く時代までの信長の足跡を追いかけてみた。そこで感じたこと・・・どんどん城が、高くなっていく。特に岐阜城は、子どもの頃に登ったことがあったが、これを毎回、登ったり下りたりしたら、大変だわーと思いましたね。雷もゴロゴロいってましたけど。
何故、信長が愛されるのか?いつも私の心の中にいる信長さんをじっと見てみると、つまり、寅さんと同じ存在なのかという答えが最近出ました。
寅さんは、フーテンです。つまり定職につかずに、ブラブラ生きている人。サラリーマンの人たちは、それに憧れるわけですね。
信長は、とにかく気に入らないヤツは、ガンガン殺してしまう。平和主義に和を重んじることに苦痛を覚えている人は、それに憧れるのではないかと。
てことは、私は哲学が無いから、家康に憧れるのか!?
それはさておき、まあ、自分に無いもの、出来ないことが出来る人に憧れる、そういうのあるかもね。ってことは、信長のように、自分の思うがまま、しかも実力もある男に憧れるってことかしら。
今の時代なら、信長はかなりのテロリストで、野田首相も、天皇陛下もビビらせる人だったわけでしょ?確かに今、それだけの骨のある男は、なかなか見つからない。作家の三島由紀夫だって、自衛隊に乗り込んだけれど、志叶わぬだしね。
今、ようやく「江」を観始めておりまして、市村氏演じる明智光秀が本能寺の変の後、江と話をするのだけれど、そのような男であっても人々がついていったのに、私には誰一人ついてきてはくれなかった、信長の凄さに改めて感心したというようなシーンがあって、なるほどねえと思いました。脚本は、田淵さん、「篤姫」の方ですね。上手く描くなあと感心しました。
「江」では、トヨエツが演じてますが、パンチがないですね。破壊的な黒い部分はあまりなく、知的に演じられています。他にもいくつか、色んな俳優さんが信長を演じてますが、私個人は役所広司の信長が好きだったかな。挑戦的で。海外の物を受け入れたり、常識をひっくり返すようなパワーや機転は、枠に囚われていない感覚がないと出来ないでしょうからね。
うちの劇団でも信長が出てきてますが、皆が憧れる信長を演じながら、その神髄を見極められたら面白いでしょうね。今の時代に乾いたものを信長が持っているというか。今の平和な世に憧れる男なのかもしれません。
そう考えると、実在人物を描く舞台は面白いです。フィクションは所詮フィクションなので、想像でしかない。しかし、実在した人物はその場その場で、様々な選択に迫られながら生きていた訳だし。それが何故?と思ってもやってしまったわけですから、その謎を解くのも面白いし。
過去に、「裸の大将放浪記」というテレビドラマがあって、小学生だった私は、半年に一度しかないそのドラマをよく観ていました。とても好きだったんです。何故好きだったかと今思い返すと、知的障害があっても絵の才能があって、でもそれが普通っていうか。最後は水戸黄門みたいに素性がわかって、絵を描いてくれって追いかけまわされるけど、その人のままっていうか。どんな人間にだって、才能はあるし、だからといって驕るわけでもなく、その人のままっていうのが、良かったのかもしれない。最終回で、裸の大将:山下清が死んでしまうんだけど、最後に本物の山下清のお墓が出てきて、更に泣いてしまったんだよね。ああ、こんな人が本当にいたんだって。小6の時だったんだけど、そのお墓見て号泣したんですよ。
何ていうか、そんな風に私の描く舞台を観てもらえたら良いなあって思ってね。
演じる俳優も、自分が演じる役が残した言葉に号泣してもらいたいなあと思ったり。実在した人物って、やはり血が通っていると思うんですよね。何だか最近は、そういうのが面白くてたまらない。嘘じゃなくて、ホント。ホントなんだけど、嘘、みたいな。
演劇という虚構の世界が、現実と入り混じるのは本当に面白い。
多くの人が憧れる信長、私にとって貴方は、やんちゃ坊主だったりするね。それでも自分の身を運命に預けて、暴れまくっている姿は確かに憧れるのも無理ない。いつか、信長と明智の作品を描いてみたいね。
その中で、どの戦国モノでも、織田信長は人気である。
私は、徳川家康ファンである。理由は、哲学者だと思えるからで、特に遺訓の言葉は、家康自身が残したとしたなら、流石堪忍した人だと感じる。
その家康と同盟を結んでいた戦国時代の暴れん坊、織田信長。
一度、劇団員と、信長ツアーと題して、自分たちが描く時代までの信長の足跡を追いかけてみた。そこで感じたこと・・・どんどん城が、高くなっていく。特に岐阜城は、子どもの頃に登ったことがあったが、これを毎回、登ったり下りたりしたら、大変だわーと思いましたね。雷もゴロゴロいってましたけど。
何故、信長が愛されるのか?いつも私の心の中にいる信長さんをじっと見てみると、つまり、寅さんと同じ存在なのかという答えが最近出ました。
寅さんは、フーテンです。つまり定職につかずに、ブラブラ生きている人。サラリーマンの人たちは、それに憧れるわけですね。
信長は、とにかく気に入らないヤツは、ガンガン殺してしまう。平和主義に和を重んじることに苦痛を覚えている人は、それに憧れるのではないかと。
てことは、私は哲学が無いから、家康に憧れるのか!?
それはさておき、まあ、自分に無いもの、出来ないことが出来る人に憧れる、そういうのあるかもね。ってことは、信長のように、自分の思うがまま、しかも実力もある男に憧れるってことかしら。
今の時代なら、信長はかなりのテロリストで、野田首相も、天皇陛下もビビらせる人だったわけでしょ?確かに今、それだけの骨のある男は、なかなか見つからない。作家の三島由紀夫だって、自衛隊に乗り込んだけれど、志叶わぬだしね。
今、ようやく「江」を観始めておりまして、市村氏演じる明智光秀が本能寺の変の後、江と話をするのだけれど、そのような男であっても人々がついていったのに、私には誰一人ついてきてはくれなかった、信長の凄さに改めて感心したというようなシーンがあって、なるほどねえと思いました。脚本は、田淵さん、「篤姫」の方ですね。上手く描くなあと感心しました。
「江」では、トヨエツが演じてますが、パンチがないですね。破壊的な黒い部分はあまりなく、知的に演じられています。他にもいくつか、色んな俳優さんが信長を演じてますが、私個人は役所広司の信長が好きだったかな。挑戦的で。海外の物を受け入れたり、常識をひっくり返すようなパワーや機転は、枠に囚われていない感覚がないと出来ないでしょうからね。
うちの劇団でも信長が出てきてますが、皆が憧れる信長を演じながら、その神髄を見極められたら面白いでしょうね。今の時代に乾いたものを信長が持っているというか。今の平和な世に憧れる男なのかもしれません。
そう考えると、実在人物を描く舞台は面白いです。フィクションは所詮フィクションなので、想像でしかない。しかし、実在した人物はその場その場で、様々な選択に迫られながら生きていた訳だし。それが何故?と思ってもやってしまったわけですから、その謎を解くのも面白いし。
過去に、「裸の大将放浪記」というテレビドラマがあって、小学生だった私は、半年に一度しかないそのドラマをよく観ていました。とても好きだったんです。何故好きだったかと今思い返すと、知的障害があっても絵の才能があって、でもそれが普通っていうか。最後は水戸黄門みたいに素性がわかって、絵を描いてくれって追いかけまわされるけど、その人のままっていうか。どんな人間にだって、才能はあるし、だからといって驕るわけでもなく、その人のままっていうのが、良かったのかもしれない。最終回で、裸の大将:山下清が死んでしまうんだけど、最後に本物の山下清のお墓が出てきて、更に泣いてしまったんだよね。ああ、こんな人が本当にいたんだって。小6の時だったんだけど、そのお墓見て号泣したんですよ。
何ていうか、そんな風に私の描く舞台を観てもらえたら良いなあって思ってね。
演じる俳優も、自分が演じる役が残した言葉に号泣してもらいたいなあと思ったり。実在した人物って、やはり血が通っていると思うんですよね。何だか最近は、そういうのが面白くてたまらない。嘘じゃなくて、ホント。ホントなんだけど、嘘、みたいな。
演劇という虚構の世界が、現実と入り混じるのは本当に面白い。
多くの人が憧れる信長、私にとって貴方は、やんちゃ坊主だったりするね。それでも自分の身を運命に預けて、暴れまくっている姿は確かに憧れるのも無理ない。いつか、信長と明智の作品を描いてみたいね。
時々、何の為に演劇を創るのか考えることがある。
勿論、必要なことなのだが。
時々、創り手の為にやってる芝居とか見せられると、ウンザリする。
創り手の人に、そんなに貴方は自分が愛されなかったのか?構われていなかったのか?と感じたりして。
演劇を公演することが一種のお祭りになっているから、その瞬間主役になることが楽しいのかもね、とか。
東京とかだと、バイトして公演してっていう生活で、日常から離れられる瞬間なのかな?
でも、日常から逃げても何も始まらないけど。
年に2回のお祭り騒ぎ。日常を忘れられる瞬間。それで創り続ける?
演劇はとても労力がかかるから、そのぐらいのペースでしか出来ないんだろうけど、日常から逃げる非日常を楽しむ日々はいつまで続くんだろうか?
私は、それが日常で、演劇創ることが日常。
となると、自分の為に芝居創るのが、申し訳ない気がする。
自分の我儘をきいてついてきてくれる俳優たち。頭の下がる想いだ。
それで観客が集まらなかったり、不評を書かれた日にゃ、公演までの数ヶ月、何やってたの?って後悔しませんか?
私はそんな体験をして、のたうちまわったことがある。
そんな経験を経て、自分のやりたいことの為に人を巻き込むことの重大さ。
私の演劇を創ることは、演劇でどれだけの人を喜ばせるかに尽きている。
私の芝居は何処を輪切りにしても、私なので。
私以上にも私以下にもならない。
ってことは、私自身がどれだけの世界観を持っているかが、作品の良し悪しを判断されるんだろうなて感じ。
意味のある、俳優も観客も喜ぶ作品を創りたい。
当たり前じゃんって思うでしょうが、ことのほか、主催者は自分勝手になりがちで。
常に自分との戦い。
勿論、必要なことなのだが。
時々、創り手の為にやってる芝居とか見せられると、ウンザリする。
創り手の人に、そんなに貴方は自分が愛されなかったのか?構われていなかったのか?と感じたりして。
演劇を公演することが一種のお祭りになっているから、その瞬間主役になることが楽しいのかもね、とか。
東京とかだと、バイトして公演してっていう生活で、日常から離れられる瞬間なのかな?
でも、日常から逃げても何も始まらないけど。
年に2回のお祭り騒ぎ。日常を忘れられる瞬間。それで創り続ける?
演劇はとても労力がかかるから、そのぐらいのペースでしか出来ないんだろうけど、日常から逃げる非日常を楽しむ日々はいつまで続くんだろうか?
私は、それが日常で、演劇創ることが日常。
となると、自分の為に芝居創るのが、申し訳ない気がする。
自分の我儘をきいてついてきてくれる俳優たち。頭の下がる想いだ。
それで観客が集まらなかったり、不評を書かれた日にゃ、公演までの数ヶ月、何やってたの?って後悔しませんか?
私はそんな体験をして、のたうちまわったことがある。
そんな経験を経て、自分のやりたいことの為に人を巻き込むことの重大さ。
私の演劇を創ることは、演劇でどれだけの人を喜ばせるかに尽きている。
私の芝居は何処を輪切りにしても、私なので。
私以上にも私以下にもならない。
ってことは、私自身がどれだけの世界観を持っているかが、作品の良し悪しを判断されるんだろうなて感じ。
意味のある、俳優も観客も喜ぶ作品を創りたい。
当たり前じゃんって思うでしょうが、ことのほか、主催者は自分勝手になりがちで。
常に自分との戦い。
私、子供の頃、田舎に住んでまして、田舎者なんです。
住んでたところには、文化会館一つしか無くて、芸能人がコンサートに来るってだけで、大騒ぎでした。
そんな田舎娘の高校生が、東京の芝居を観て、頭をハンマーで殴られた程の衝撃だったのは言うまでもありません。
で、社会人になって、東京、名古屋、大阪と芝居を観てお出かけする日々でした。
そのうち、東京の芝居は面白くなくなり、名古屋や大阪へ観に行くようになりました。
東京の芝居がつまらなくなったワケ。パワーが無いのね。そのうち、短歌絶叫や絶叫フォークまで観るようになって。とにかく東京の芝居は人間がつまらないんですよ。田舎者はパワーがあるので、東京の芝居は物足りない。
で、遠退いてしまいました。
気が付くと、今は地元で地元に根付いた作品づくりをしています。
若者が東京に憧れて、上京します。ま、仕方がないことですが、東京の様々な舞台を観たんだろうか?東京の人は面白いのだろうか?
多分、東京の劇団で私が持っているような稽古場を持ってる人はあまりいないでしょうね。公演数を行っている人も。よくも知らずにただ東京ってだけで、扱いを変えたなら田舎者ですって表現してるようなものだ。
逆を反せば、東京に憧れてるってことがそもそも、田舎者なのにね。
青い鳥は、家の中にいるのにね。
住んでたところには、文化会館一つしか無くて、芸能人がコンサートに来るってだけで、大騒ぎでした。
そんな田舎娘の高校生が、東京の芝居を観て、頭をハンマーで殴られた程の衝撃だったのは言うまでもありません。
で、社会人になって、東京、名古屋、大阪と芝居を観てお出かけする日々でした。
そのうち、東京の芝居は面白くなくなり、名古屋や大阪へ観に行くようになりました。
東京の芝居がつまらなくなったワケ。パワーが無いのね。そのうち、短歌絶叫や絶叫フォークまで観るようになって。とにかく東京の芝居は人間がつまらないんですよ。田舎者はパワーがあるので、東京の芝居は物足りない。
で、遠退いてしまいました。
気が付くと、今は地元で地元に根付いた作品づくりをしています。
若者が東京に憧れて、上京します。ま、仕方がないことですが、東京の様々な舞台を観たんだろうか?東京の人は面白いのだろうか?
多分、東京の劇団で私が持っているような稽古場を持ってる人はあまりいないでしょうね。公演数を行っている人も。よくも知らずにただ東京ってだけで、扱いを変えたなら田舎者ですって表現してるようなものだ。
逆を反せば、東京に憧れてるってことがそもそも、田舎者なのにね。
青い鳥は、家の中にいるのにね。
















